2012年2月26日日曜日

「情報」について


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人はひとりでは生きてはいけません きっと 笑

コミュニケーション。

そのためには情報のやりとりが不可欠となります。

基本的には「言語」。




「数字」も言語の範疇でありつつ、
国際標準でありつつの、宇宙標準であります。
つまり言語の中でも最も抽象度が高く、かつ精度が高いわけです。

もちろん正確に使えれば、ですが。笑

音楽もさらに抽象度の高い言語ですが、それは今は、置いておきますぅ・笑

ちなみにマネーもコミュニケーションのためのもの。
情報です。
言語でありつつ、数字の羅列です。

言葉とマネーは別物のようですが、
じつは本質は同じものなのです。

では何故に別物の印象を多数派は抱くのでしょうか?

それは情報のやりとりに「リアルな材」が必要な時代が
長らく続いたからなのであります。

たとえば……言葉。

喋ってもカタチはありません。

ついこの間まで口伝みたいなもの、多かったですよね。

ヘタに記述して本質がかえって伝わらなくなる……
それももちろんあるのですが、
紙とペンが大変、貴重だったというのも大きいはずです。
↑ 先日もダ・ヴィンチ展で、モノホンのメモ帳とか見ましたけど、小さいです



また文盲という言葉があります。
喋れるし目も見えるけど、書けない読めない。
アメリカなんかにもまだ多いらしいです。
トムクルとか確か……

あとケチでどってことない情報を伝えない教えない人っていますよね 笑
あとクライアントの意向で嘘つくとか自粛するとか 乾..
そういうのも「情報流通の阻害」となりますぅ。

たとえばインターネット黎明期、
これはグーテンベルグ以来の情報革命だ、
ということで「グーテンベルグの銀河系」なる書物が話題になりました。



ルターの宗教改革。

グーテンベルグの活版印刷が、具体的に後押しし、
プロテスタンティズムが勢力を増すことに成功しました。

世界一の発行部数を誇る、とされるのは、そう「聖書」。

ちなみにホテルとかに置いてあるのは、プロテスタントです。

本によって、教会が独占していた情報が開放されたわけです。



ただし、活字を紙に大量に印刷するというテクノロジーと
読み手にとっては「目で読む」という能力が必要とされたわけです。

まあ宗教画とか多いのも、
大衆を啓蒙するのに「絵」が必要だったからです。
当時、読めないのが当たり前ですから。



ここで考えます。

文字っていろいろある、と。

ここでアルファベットのような数の限られた表音文字を考えます。

活版印刷もそうなのですが、文字のバリエーションが少ないってのは、
情報の流通にとっても便利。

かたや……
ひらがな、カタカナ、漢字にローマ字って、
一体どれだけのバリエを用意するんだ? みたいな言語があります 笑

活版印刷もそうだし、(機械式)タイプライターなんかもそうだし、
モールス信号みたいなのもそうですよね、
物理的に「文字バリエ」が少ないほど、有利な時代が続いたわけです。

中国の画数多い漢字だけってのも流通面ではキッツいですよね。

でもそもそも言語って何のためにあるのかと言えば、
コミュニケーションのためにあるのですから、
それこそ「世界共通言語」があれば、きっと世界は変わります。

また言語を利用する絶対数が少ないと、
その言語圏の経済活動は相応のものとなります。

よく中国とかインドの人口の総数が語られますが、
中国も多言語、インドなんか公式でも20以上の言語が流通しています。
中国政府が「北京語」がを標準語にしようと躍起になっているのも当然でしょう。

またドルの流通と同時にエンタメで英語の流通を促進させようとする
アメリカ様の戦略はお見事ですね。

とはいえ、いまや足下ではスペイン語しか喋れない人が増えて大変、と。
シュワちゃんが「アスタラビスタ べイビっ」とキメゼリフを吐いたのは
スペイン語の方たちにウケるためだったわけです。当時は…


日本のバアイは、一億人を超える人口ボリュームと同時に、
新聞、そして国策的な電子機器の普及により、
NHK語とも言える標準語が全国津々浦々まで浸透し、
もちろん方言も強固なものでありますが、
多数派の人は「方言と標準語」のバイリンとなっちょります。

個人的に思い出されます。
ガキの頃、両親の実家とか訪れると、
バアちゃんとか何しゃべっているか分からない……
都会の少年としてはショッキングな体験。
また都会の標準語しか分からないガキにあわせて
バアちゃん側が言葉を変える能力というのも無かったわけです。

でももう そういう じいちゃんばあちゃんな体験する子供も
いまや少ないはずです。
カラーテレビ普及から、40年以上経つのですから……

さて、手書きの文字情報。

紙とペン。

ちょっと前まで貴重品です。



ある程度上の世代で「万年筆好き」がいますけど、
それは筆記具の王様たる万年筆が
円安の時代もあって、バカ高っだった記憶が影響しているはず。

日本は筆の文化圏ですから、
あの金属加工とインクの組み合わせの発明品はインパクト大だったわけです。

で、紙に書く。

大量に流通させるには、活字にして印刷して製本して何らかの手段で
全国へと本を配る必要が発生します。
本は重いですからねぇ。
自動車がまだ普及していなかった時代なんてついこの間ですわ。

また戦後、敗戦国をどうプロパガンダするかで、
情報の流通をシンプルにする政策が取られました。
全国紙と地上波が連携し、
そこに世界に類をみない規模の広告代理店が介在する、
また印刷所もほぼ一箇所が寡占する。

電力会社しかり。

でも海外に比べてバカ高いのも、
これだけのことが起こってからでないと分からない……
それこそ海外旅行でホテル何日泊まっても、
電気代そのものはReceipt には書いてありませんからね

まっ、そんなもの。

ちなみに電信電話は現在のように群雄割拠になっているわけで……

電電公社のままだったら、ゾっとします。



あと反社会的組織が、堂々と看板下げている
訳のわからない国もあるのですが、
今頃になって宗主国が、「資産の凍結」を宣言しました。
つまり……実質、認めていたんですね。
今まで。
彼の国が。
↑ このあたりに関してはタランティーノの「キルビル」ご覧くださいね 笑



「情報の伝達」において、
日本語は文字のバリエがたくさんありすぎるので、
物理的なメディアに依存する(負担になる)傾向が強く、
かつ、戦後統治の関係もあって、
情報の流通システムが決して民主的ではない、
というのが第一の問題となったわけです。



ただし単一言語として一億人以上の規模をもつのは、
ドイツなどと比べてもまったくもって優位なものでした。
国力という面において。
効率面において絶対的な数はとても重要だからなのです。

閾値 があるんですね。

CPUの発明、液晶の発明普及と具合に、
「日本語環境」は情報伝達のハンデを克服してまいりました。
逆にツイッターの日本での人気は、
文字数少なくてもたくさん伝わる……といった具合に有利にさえなっているわけです。
歴史全体を俯瞰すれば
「効率の良さ」がどんどん追求されています。
日本語は効率がいい。
サーバの負担も少ない。



逆に確かに出版なども紙の消費量が少なくて済むなどといった具合に、
国内だけで完結するのならば、効率が良かった。
経済発展のスピードに寄与していた、とも言えるかもしれませんね。

さて、かつて安達さんがいいました
「同情するなら金をくれ」。

今なら「いいね! 押すなら金をくれ」でしょうか 笑



是非はともかく、
マネーがコミュニケーションのツールであることを
端的に表した名言でしょう。

言葉の存在に良い悪いはありません。
そんなの議論しても意味ない。
けど言葉遣いには良い悪いあります。

マネーも同じ。

逆に日本一の高額納税者、斎藤一人さんはこういいます。
「お金は神様がくれた最高の発明」と。

そりゃそうですよ。

簡単。分業がここまで進んだのはお金のおかげ。
文化が進んだと言い直すこともできますね。

日がな数学のことばっかり考えている人がいて、
ひとつの数式が世界を変える……
みたいなのは事実ですけど、
みんなが農耕とか狩猟していたら、
そんな抽象度の高い思考が生活の糧になるなんて不可能。



また人には得手不得手って絶対にあるのだから、
得意な仕事についたほうが社会的にも効率がいい。

まあそれを否定するのは個々人の自由ですけど~

ただし、マネーも言語同様、
物理的な制約とつねにリンクされていたわけです。

米が単位だったり、
貝とか石とか。

そして金に代表されるレアメタルだったり。

小銭数えたり、手書きで計算したりの時代ってついこの前。
これも当然人件費に上乗せです。

で、未だに通貨がやばいなら金だってことで、
金の価値が上昇していますが、
ぢゃあ、リアルな生活にどれだけ金が必要なのかと言えば、
これがびっくり 工業製品にしろ、ちっとも必需品ではないのです。

ほとんどが宝飾品として消費されている。

よっぽどタンタルとかリチウムのほうが必需品。

で、ニクソン・ショックによって金との兌換は停止したわけですが、
金の価値で商売していた勢力にとっては大打撃ですよ。
ついこの間まで金の価格がずっと下げ止まりだったのは自然な流れなんですね。

だからゴールドフィンガーみたいな映画が作られる。



金の価値を維持したい勢力が、
金の価値を破壊する勢力を批判するというもの。

でも純粋な経済学で言えば、
通貨の流通量を限定的リアルな物質で、固定すると、
スピードの速いインフレに対応できないのです。
リアルな経済発展に対応できない。



また紙幣、貨幣、証券、債権といった具合に、
紙とか金属のカタチをマネーが有していたからこそ、
その物理的な流通の能力によって、
経済が規定されていたとも申せましょう。

で、先にも申しましたが、「歴史は無駄を嫌う」。

たとえば現在の日本には、電子マネーの端末があふれています。

かたやATMに現金を運び入れる、
プロテクティヴな装いの現金輸送車をよく見かけます。

改札口で日がな きっぷ切るためにハサミをカチャカチャやっていた
駅員さんがいなくなったのと同様なことが起こるのは必然かと。

また「お金大好き」とか言いつつ、
お金の発行元である、
FRBの議長とか
日銀総裁の名前を知らない……なんていうのは……という時代になりつつある、と。

ボクのバアイなんか、
オバマが何言うかよりも、
バーナンキが何言うかのほうが気になるし、
世界に対する直接的な影響が大きくなっている気がする。

でもってマネーは数字なので、
言語も物理的な束縛から逃れてきたのと同様、
いや言語よりも一歩先に束縛を逃れてきた経緯があって、
ここにコンピュータネットワークの進化も相乗しつつ、
マネーという情報をどう読む、なお仕事、
それこそヘッジファンドみたいなところが
世界的ヒット歌手も呆れるくらいボロ儲けするのも当たり前、かと。




歌手のバアイは、逆に
レコードとかCDとかいったメディアの価値が低下していったために、
ちょっと前までのような強烈なボロ儲けは難易度高くなったし、
それこそ物理メディアの流通業は急速にシュリンクしている。
↑ とはいえ音源としては未だ魅力的ですけど~

時代と共に情報が集中する場所とか変化してゆきます。

たとえば出版ももちろん価値ある情報は存在しますが、
そのほとんどはどーでもいいものであって、
しかも制作はほとんどデジタル化されているのであって、
これもほぼ間違いなく、レコードと同じ道を歩みます。
Padのサイズのバリエはもちろん、価格も加速度的に下がってゆくゆえ。
熱帯雨林を大切に。

えっ、クルマ?

クルマもコミュニケーションツール。

でもってその価値の優位性が秀でていた時代が過去にはあった。

もちろんその優位性は地域によって今だ違う。

けど多数派は、未だ「過去の優位性」に囚われている。
時計とか万年筆なんかとまったく同じ構図。

未だクルマは空飛べないし、海も走れない……
などとクサす御仁がいるけれど、それはボンド映画の見過ぎ。


本質的な跳躍はSF映画でお馴染みの自動運転。

で、自動運転になると、職業で独自の荷物運ばなきゃいけけない、
あるいは特殊な趣味で自己所有が必要という人以外は、
タクシーのほうが利便性高いから
「所有、私有」という概念がなくなる。
鉄道私有したい、とか、航空会社私有したいとかいう夢もつ人、
いると思うけど、露程にも思わない、夢にも思わない という人が多数派でしょ?
きっとそうなる。



過剰な道路インフラも必要なくなりこれも効率よろし。

つまらないミスで一生を棒に振る人がいなくなることは素晴らしいし、
多数派が金持ちのライフスタイルを真似したがるのならば、
ぢゃあ今、金持ちや権力者が自分で運転しているか?と問えばよい。

もちろん茶の作法知らずに茶器集めるという
コミュニケーションもあるけれど、それは本質ではない。
ご自由に。

そもそもエンツォだってレースしか眼中になかったのですしね 笑

そもそもクルマってキケンだからさ、
技量にも高低があるってことと、
技量の高い人を褒め称えるメタファーとしてのプロモーションイベントが必要。


職業ドライバーの人ってたくさんいますからね。

とりとめなー 笑


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