2012年12月11日火曜日

「Ingress ◆浅草」


様々なポータルを訪れてゆくうちに、「東京のポータル設定って、もしかしたら、ガイジン目線」かなぁ、と感じるようになってきました。

基本的には観光地。でも、設定の仕方が絶妙でして、「海外から来た人が東京を楽しむ」みたいなのが裏テーマにも感じられるわけです。

日本人が設定すると、もうちょっと違う感じになるかなぁ……みたいな。

で、「上野エリア」は結構、歩きの移動距離がありまして、連れの人が「山ガール」だったとしても、あんまし引っ張り回さないほうが無難かも・笑。上野の場合、漢(おとこ)は孤独に・笑。

ただし、上野から東へと、あっちゅーまな「浅草エリア」の場合、ド観光ルートとポータル配置がほぼ同じなので、「Ingress」やりながら、観光しても、連れの人から文句はほぼ出ないだろう……と予測します。

でワタクシも、上野からちょいと足を伸ばして「浅草」にも行ってみましたヨ。昼間の浅草ってスゲー、久しぶり。まるで初めて訪れたみたいな感じ。

チョー面白かったです・笑。


「昭和が清潔感と活気を伴いつつ、動態保存されている」。

仲見世はすごい活気。外人さんが超多い。しかも人種がバラエティ豊か。個人観光のベース基地に浅草が変貌しているのを実感です。



あ、もちろん、隅田川を挟んだ東側にはスカイツリー、にょっきり。

銀座とかの中国系団体旅行客なんか
は、めっきり減少した印象ですけど、浅草は凄い。キャリアケースもっている人が凄い目立つ。ただし、持ち歩いて観光しているわけではない……。

成田から直行。浅草のホテルに荷物を預け、まずは浅草寺見物ってところでしょうね。都心部のホテルよりはリーズナブルなステイ先がみつかりやすい。これも浅草のメリットでしょう。

さらに、浅草から羽田も直行できるようになったし、クルーズ船でお台場にもアプローチできる。

そして何より地下鉄「銀座線」でしょう。

昭和2年、「浅草-上野」間が開通。日本初はもちろん、東洋初だったらしいっす。それくらい浅草が都会だったとも言えるでしょうね。

で、現在の銀座線は、もちろん、「浅草-渋谷」間。

今さらですが、浅草側から眺めてみると、東京観光に超ベンリな路線ですよね。

上野、上野からアキバ、銀座、銀座から徒歩で築地、国会議事堂、表参道から原宿とか明治神宮とか、もちろん終点の渋谷で109とか・笑。

東京あんまし知らない人にとっては超便利ですな「銀座線」、もちろん浅草も。

下手に西新宿のホテルとかパッケージで泊まるとかなり不便かも。駅から歩くしぃ。



とにかく「昭和」が動態保存されているのですね。しかも清潔に。もちろん浅草通り沿いには大型のスタバだってありますよ。

蝋細工の食事見本とかも、どれもキレイな最新版。さすがお隣、かっぱ橋道具街っ。




よく田舎いくと、カビだらけで黒ずんじゃっているヤツって多いじゃないですか、そういうのがほとんど見当たらない。



下町の職人さん文化とかも散見できてうれしい。このハサミのオーラ凄かったっす。鞄屋さんなんかも下町メイドが結構、ありましたね。

あと、ネットで治外法権な動画が簡単に見れちゃう時代にあって、当然、このような文化の意味とか価値も変容してゆくことでしょう。演出とかとても大事かと。



男性の、外人さんも、ステイ先の近くにこんなのあるのお喜びのことでしょう・笑。


もちろん浅草演芸ホールでのライブなどもしっかり残っている。


そうそう、「花やしき」が存続していること自体、メルヘンにしかみえない。


浅草の復権におとなりのスカイツリーも威力絶大でしょう。フィリップ・スタルクとのツーショットも、観光客ウケは間違いなくいいはず。


で、こちらは「六区」の北の商店街で見つけたラーメン屋さん。拡大してお値段見てみてください。とりあえず驚きます。「はぁ?」みたいな。

いまやダークでコワイ要素はほとんど払拭されているのですが、妙に新しぶらない、「昭和」の雰囲気を清潔に残そうという雰囲気があって素敵ですね。もちろんどんな街にも昭和のまんまってところはありますけれど、エリアそのものが“まんま”って他にはあんまりナイと思います。

結局、インディペンデントが力強く生き残っている感がすごくあっていいな。

でも、です。

両国と並び、演芸や映画の都だった浅草はなぜ没落したのでしょうか。

テレビの普及、だそうです。昭和30年台ですね。

ここでもやっぱりメデイア論なんす。

ちなみにスカイツリーは地デジ用と考えている人は多いようですが、地デジは東京タワーで十分対応できていて、ワンセグのほうらしいのですが、地上波各局はワンセグ料金を払っていないそうです。またソラマチの企業用テナントの入りもあんまし良くないとか。つまり、スカイツリーって、実質、超高コストな「展望台」みたいなんす。つまり、電波塔としては……みたいなんですね。

で、浅草の没落とともに、繁華街は西へ西へと広がったと思うのです。東京って。新宿の副都心なんかその象徴。渋谷とかもそうですよね。池袋のサンシャイン60なんてのも華々しかったっす。昔は……。今や新宿副都心の高層ビルとか中に入ると、ボロボロでびびります。

で、国道16号線の同心円的に都市は広がっていったと思うのですが、先日、ひょんなことから16号線沿いにある、郊外型某都市を訪れたのです。なんかすっごく寂れていましたね。ヤバい感が強まっていたなぁ。浅草と対照的でしたね。うら寂しいアメリカの街みたいなわけです。

とにかく、浅草自体が演芸や映画の都として「一大メディア」だった。

しかしテレビの普及で廃れてゆく。

また経済成長中の日本では、浅草のような機能をもっている都市が周辺周縁へと増殖してゆく。ますます浅草が廃れていく……といった構図だったでしょうか。

ただし、もともと人を惹きつける要素を地政学的に強くもっているからこそ、なんか浅草は復活しつつある感を抱きました。新たな土台になっているのは海外からの個人観光客。ここでは集客のグローバル化があるわけですね。飛行機による遠距離移動の大衆化というか。これも変化というか人類の進化。

一方で、最新の政治をアナウンスする党首討論会を「ニコ動」でする時代。浅草を没落させる原因となった地上波はインターネットの進化によって、相対的にその価値をガクン下げているのも間違いないところでしょう。

個人的には、東京西部の田舎者なので、上野あたりでバリアがあるんですよね・笑。美術展とかみて散策して、もう、お腹いっぱい、帰ろっというか。もちろん高速とかも利用しまくってますし、この間も言問橋のデニーズで朝食摂ったっけ。でも「昼の浅草」はずっと素通りしていました。テレビでもよくやっているし、珍しくないみたいな……。なんでわざわざみたいな感じ。

けど、今回は超新鮮でしたね。ただの観光地じゃないかもココ、みたいなぁ。

新しい人の流れがありつつ、年代ごとの古いものはしっかりと残しつつ、バージョンアップを遂げているところが新しいのかな。

さすがにもう年末には行けないのですが、年が明けたら、また訪れて何らかのヒントを掴めたら……と思っているところです。


ネット時代と浅草。関連あるかも、です。

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