2016年8月29日月曜日

偶然すぎ!スコセッシ監督の新作『沈黙』は、まさに“使徒”の物語なのでした!【映画批評】


というより、台風10号襲来にガクブルのワタクシ

先日の台風9号の関東直撃なんかも、記憶の限りそんなの知らない......。んで、二級河川が、ヤバヤバでした。多摩市とかで避難勧告とかマジかよ、と。

んで、今回の10号の規模と進路予想とか、1951年から正式に観測し始めた日本の歴史に無い、そうです。

うーん、2016年って、特別な年なんかなー、やっぱり......。

“失われた20年”を象徴するアイドルグループの解散って、デフレの終焉の象徴なんか、とか。

あと、ずーと、エヴァ作品をループさせ続けてきた庵野監督が、ついに『シンゴジラ』にて、“次”のステージにシフトしたこととか......。しかも、テーマは、これからが本番の日本の防衛ですしねぇ。

とっとと、“次”に行かないとヤバイでしょ、と。

んで、きっと日本でも、年末年始には公開されるのでは? と予想されているハリウッド映画の件

監督は、巨匠すぎるマーティン・スコセッシ。



原作は、遠藤周作の『沈黙』。小説は1966年。



主演は、新スパイダーマンのアンドリューガーフィールド。準主演というか、見ないと分からないけど、本当の主演なのは、リーアム・ニーソンかも。



日本を舞台にした小説なので、もちろん日本人俳優も出る。最初は渡辺謙だったのだけれど、撮影のスケジュールが延びたので、渡辺謙の代わりは浅野忠信。他にも数人。



ということで、今はシンゴジラで盛り上がっている我が国でございますが、年末年始は映画『沈黙』がソートー、来るのではないか、と。

しかも、テーマがキリスト教そのものなので、それこそ世界中が関心をもつのではないでしょうか?

スコセッシ監督は、もちろんイタリア系でして、育った家からして敬虔なカトリックだったらしい。20年前に原作を読んで、絶対にオレが映画化したる、って思ったそう、です。

さて、物語の大筋いきまいす

舞台は島原の乱が終わった直後、もちろんギンギンにキリシタンが弾圧されている長崎あたり......。20年間も現地で布教活動をしていたリーダー格の牧師、フェレイラが拷問もあって棄教。

さらに失踪。そこでローマ法王は、イエズス会所属のポルトガル人牧師二名を、日本へと派遣する。もちろん、密入国でありんす。

もともとローマはキリスト教を弾圧していた側だったにもかかわらず、国教化した。ローマ帝国の領土拡大に有利だったから、という説があります。

新たに統治した地域の人間の脳みそのOSを書き換えちゃうわけです。ヨーロッパには多神教みたいな概念で暮らしている民族も多かったわけですし。さらに街の中心部には、教会を建てつつ、地域SNSのハブとして機能させる、と。

信長にしろ、秀吉にしろ、家康にしろ、その“やり口”は重々承知していたはず.......。

じつは信長は、絶対神たるキリストの上が、自分なのである、という新OSを稼働させようとしたので、イエズス会が背後で動いて、当時最新の爆弾とか明智光秀に供与したのでは? などという妄想もあり・w

んで、物語にもどる。

日本潜入に成功したふたりの宣教師は、ひとりは死に、ひとりは捕まって拷問を受ける。

そこに、棄教して行方知れずだった、フェレイラが現れる。

ここで、実際のキリスト教信者の皆様は、ロドリゴとフェレイラ側の立場から、キリスト教とは? 信仰とは? 本当のキリスト教徒が振る舞うべき態度とは? を考えさせられることでしょう。

ちなみに、原作の遠藤周作氏も敬虔なクリスチャンだったことでも有名です。

ただし、です。

ここからがポイント。

最後の最後にフェレイラはこう言うのです

私は20年もこの国で過ごしたが、この国は沼のようなもので、我々が植えた苗は、根から腐ってしまうのだ、と。

つまり、育たない。

キリシタン狩りとかのオハナシではなく、もともと無理なのだ、というオハナシなのです。

ここで思うのが、山本七平の『日本人とユダヤ人』(1970年)。



明治以降、もちろん我が国ではカソリックもプロテスタントもユダヤ教もイスラム教も解禁されて、それこそ、教会も学校もバコバコ存在するようになった、と。

イエズス会直営の上智大学みたいのとか、他の国ではあんまし無いらしいです。

根付いたではないか? と見た目では言える。フェレイラは間違っていたのでは? と。

一方、山本七平の説はこう。

日本には皆が無自覚な日本OSというのが強固に働いていて、仮にそんな日本人がキリスト教に帰依し、熱心な信者となったとしても、日本OSに人々が無自覚であればこそ、渡来の宗教はアプリケーション的な存在に過ぎないのだ、と。

UIが違うので、別物のスマホかと一瞬思うけれど、じつはAndroidでしたー、的な。

つまり、遠藤周作の原作に忠実であれば、最後の落ちとして、本質的にキリスト教が根付かない、特殊な国が存在しているのだ.......ということになるわけです。

一神教が根付いている国の信者の側から観れば(スコセッシ側の視点)、「自分たちが当たり前だと思っている絶対的な概念が通用しない国が、現にこの世に存在するとは信じがたい.....」という事になるかと存じます。

諸説あるところですが、マリオの格好した首相がオリンピックの閉会式に登場しちゃう、変わった国を思い出しちゃうのではないでしょうか?・w

キリシタンを拷問しまくる国とマリオの恰好した現代の首相が同じ国であること.......。

2016年って、まさに四年後に向けての出発の年でもあるぞ、と。

ちなみに任天堂のキャラでは、今、ポケモンが世界中を席捲しているのは間違いないでしょう。

ポケモンGOが遊べない国があることは有名ですが、そもそもポケモン・コンテンツそのものが禁止されている国が存在しているのです。たとえばサウジとかのイスラム教国。ビツクシですね。

“進化の概念”とか、モンスターの神格化扱いとか......。

イスラム教だけでなく、キリスト教の一部も、ポケモンの概念を痛烈に批判していたりします。

そもそも基本、多神教の物語ですから........。

データ的にも、とっくにポケモンGO人気は峠を過ぎたのは間違いないところでしょう。

けれど、ここを起爆剤として、新たなポケモン伝説が始まるのは間違いなし。ポケモンのリスタートも2016年だった、と(世代的なこともあって、昨今、ポケモン・ビジネスそのものが斜陽化していたのでした。けどね、と)。

ちなみに日本人は無宗教が多数派とか言われてもいます。

ただし、大みそかの明治神宮の様子などを切り取れば、その姿を海外の人たちは無宗教と思うでしょうか? 思わないでしょ、きっと。

そもそも集まっている場所は、神社という宗教施設なんですから.......。

あと、以前バリ島で、現地の女の子に「神様は何処にいる?」と尋ねたわけです。

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バリ島はヒンズー教徒の島。イスラム教を国教とするインドネシアの中では特殊な島。

家の前には毎朝、花を供え、年がら年中、お祭り的なことをしている島であります。

彼女は「神様はどこにでもいる」と答えました。

トイレで祈りたければ、トイレで祈ればいいのだ、と。

まさに、トイレの神様.......。

けど一神教からすれば、トイレの神様とか、訳が分からない概念のはず........。

ともあれ、です。

原作は原作。

脚本は脚本。

演出は演出。

すべては監督次第、と。

スコセッシ監督だからこそ、期待は高まるのでありますね。

とりあえず、いぢょ!

【追記】

     ひとくちに“格安SIM”と言っても、その中身は天と地っ!



ワタクシが、NifMo → IIJmio → mineo へと至った、マイネオのコスパ最強“10の理由”を書きました。ぜひ



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