ということで、また半島ネタ。
運良く、韓国に三年間も駐在していた、元商社マンのおじさんと久しぶりに出会ったので、いろいろ質問してみました~。
時代は韓国の民主化以前のオハナシ。
ワタクシは、民主化後、何回かソウルを訪れていますが、初めて行った時、地下鉄に迷彩に身を包んだ兵士が、ズカズカ乗ってきてビツクシいたしました。
「そう、休戦状態なのだな」を実感。
さて、オジサンが見た韓国とは?
韓国に行くまで、よく知らなかった、と。会社は渡航前に、何のレクチャーもせず日本から送り出し、現地スタッフがいろいろと教えてくれたそう。
新人には38度線見学ツアーが真っ先に行われたそうです。
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約40km。ソウルからの距離感を、まさに身体に叩き込んだ、と。けどオジサン、なんで道路の途中に何箇所ものバリケードが存在しているのか理解不能だったそう。
北から戦車とか兵士が来た時用だって、後で理解できたそう。
そしてもうひとつ、38度線から青瓦台に向って掘られたトンネルも見学したそう。もちろん途中まで掘って、韓国軍に見つかっちゃったわけですけれど、日本人とすれば「ゲゲっ」といった感じでしょう。
ということで、赴任直後の駐在員には、ソウルが置かれている地政学的危険性を体験によって知らしめる、というのが会社の方針だったみたい。
ご家族は? という質問には......。
子どもたちは各種受験のお年頃だったので、3年も韓国に行きたくない、と拒絶。だったら私も子供たちと一緒、ということで奥様も日本のまま。おじさんは、単身、ソウルで羽を伸ばして楽しんでいたらしい・w
家族持ちの場合、リスクの判断は本社が下すそう。実際、家族は真っ先に帰国するよう手配されていて、その件に関しては、JALとしっかり連携が取れていたらしい。
ちなみにANAが国際線を始めたのは1987年。韓国の民主化宣言と、歩調は一緒。
ちなみにオジサンが駐在していた当時も、日本大使館が襲われる的な韓国人による暴動が発生して在韓日本人は危機感を高めた時があったそう。にもかかわらず、家族をとっとと帰国させていなかった社員がいて、本社が爆裂に怒って電話してきた事件もあったなー、と。
んで、イザ何かあった時はどうするの? との質問には.......。
火の海になるのは分かっているので、とりあえず個々人で自分の命は守れってのが会社の方針だったらしい。日本大使館を目指せとか、そういう具体的なオーダーもナシ。とにかく生き残れ、と。ヒー。
けど、赴任して暫く経つと、感覚が麻痺してきて、そんな事、考えてても仕方ない.....的な気分になったとか。もちろん、オジサンの性格もあるにしろ........。仕事とムフフで毎日をエンジョイしていたらしい・w
当時のウォンのレートとか調べていませんが、老舗の日本商社にお勤めしていたわけですから、それこそ、ムフフ放題だったと言えるでしょう。経費もじゃんじゃん落ちる時代だったらしいしぃ。
ただし、です。
会社からは厳命されたらしいです。会社も自宅もすべての電話は、韓国政府から盗聴されていると思え、と。絶対に迂闊な事は言わないように、と。
また、ハングルもまともに話せない日本人丸出しが、絶対に行ってはいけないゾーンとかのレクチャーも同僚から懇切丁寧に教えられたらしい。
しっかし、なぁ。
有事があったら、とにかく自分の力でまずは逃げろって会社から言われていたって、ある意味でリアリティがあるな.....とワタクシは感じた次第。
とりあえず、いぢょ!
【追記】
ワタクシが、NifMo → IIJmio → mineo へと至った、マイネオ、コスパ最強“10の理由”を書きました。ぜひ。
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