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なんかの記事を読んで、SNSの「Path (パス)」というアプリをダウンロードしてみた。
特徴は……
ひとり150人までというかなり限定的なユーザー設定であることと、スマホ大前提でデザインされていることにある。
ダウンロード後の第一印象は、「めっちゃ洗練されたUI」。必要な機能がシンプルかつオサレに配置されていて、「使ってみたい」と思わせる力がそこにある。「Googleがかなりの額で買収を持ちかけた」という逸話なども自然と思い出されるほど。
「Path」の創立者のひとりが元Facebookということも無視できないポイントだと思う。というのも「比較」すれば、Facebookの特徴が逆に際立つがゆえ。
FacebookはPC育ちのSNSであり、サービスの多様性が魅力でもある。その多機能すべてをスマホという新世界に持ち込もうとするがあまり、時として重く、UIに関しても決して洗練されているとは言いがたい。
また個人名登録を大前提とし、基本5000人のネットワークを許容するFacebookは、それがことFacebook内であれば、登録数が増えるほどに「公共性」の色合いが自然と色濃くなってゆく。この傾向はウェブ全体からすればFacebookワールドが極めて閉じた特性をもっている、というのとは別次元のオハナシ。
端的に言ってしまえば、不特定多数の監視者が増えるほどに、囚人は大人しく振舞おうと自ら自制的になるということ。結果的に地上波のテレビと似たようなコンテンツに収斂してゆく。特に自営業者であるならば、ここにビジネス的な色合いも自然と濃くなってゆく。
特にFacebookに関しては、我が国ではブームなんだろうな……と感じさせる。良い悪いではなくブーム、流行(はやり)。2008年に日本語化なっているが、この時点ではあくまで個人的なファンが日本語化に貢献したものであり、当時のことを思い起こせば、未整備もいいところだったと思う。
Facebookが正式に日本法人を設立したのが2010年1月。その時点でも国内では100万ユーザー程度のものだった。国内ではmixiが先行していたし、mixiに後塵を敗したグリーなどはとっとと主戦場をケータイゲームにシフトしていた。Facebookとしては、サービスの多言語化の砦としてアメリカ外では初の法人設立を日本とし、映画「ソーシャル・ネットワーク」公開、続けて昨今話題のIPOに向けての路線を着実に邁進してきたわけだ。
再確認したいのはFacebookが日本法人を設立してまだ二年半程度ということ。ついこの間のオハナシである。
「そういえばmixiは?」と調べてみれば、アクティブユーザーの減少とか、嘘か真か売却話等、明らかに「本物」襲来の直撃を受けているご様子……。とはいえ、mixiとしては一口にSNSと言っても特性が違うことを前面に掲げ、優位性は存在し続けているとしている。匿名性や絶対数少なく閉じた環境構築であるとか……。
さて ここで、ぐるり巡って「Path」へと戻る。PC時代に獲得したユーザーに阿ること無く、「スマホ大前提」のデザインと機能がそこに存在している。
またある程度、Facebookに馴染んだ上でPathに触れれば、Gooleが提供する「Google+」の『サークル』の概念が理解でしやすくなる。
Google+、昨年秋に鳴り物入りで登場したものの、どうもまだユーザーはあまり増えていないよう。
マーク・ザッカーバーグを主人公に据えた映画「ソーシャルネットワーク」が公開されたのは2010年。やはりハリウッド映画化というのはパブリシティとしては最強であり、以降、Facebookの文字が各種メディアで溢れることとなった。当然認知度も飛躍的に上がる。スマホどころか、普段PCもまともに触れていない層でさえ「フェイスブックって何?」というレベルに今や達している。
さらに2011年となって、特に後半はAppleの話題でもちきりだった。それらFacebookの波、Apple再評価の波の中にあって、昨年秋に登場したGoogle+は、やはり「話題性」という点では次点となってしまったはず。
とはいえ「Google+」はまた(また)失敗だ……というのは早計のような気がする。というのも、個人がSNSに時間を投下するリソースは限られており、「まずはFacebook」というのが多数派のはず。ただし、自らのSNS世界が時間の経過と共に「公共化」されるに従い、人は「閉じた世界」も同時に求めるようになるもの。帰属する社会性に応じて人が様々な仮面を被り演じているのがリアルな世界のはず。「多数派に知られたくないこと」だってある。
ここで必要となってくるのが閉じたSNS。たとえば「Path」であるのなら、恋人同士で二人っきり……みたいな世界が想像に容易い。当然、中身は多人数が閲覧することができるFacebookとはかなり違ったものとなるはず。フツーは。
恋人同士ならいざしらず、もうちょっと多人数の緩いコミュニケーションの場合もあるはず。そういう場合に、「Google+」の「サークル」の概念は極めて便利。ただ、その概念とか具体的な設定は、ひと手間であり、個人登録→友達登録というシンプルな概念で繋がるFacebookに比べるととっつきにくい。なにせGoogle+の場合は、こちらだけでなく、相手側も「サークル」を新設する必要があり、人数が増えるほどに、これは明らかにややこしい作業となる。
自らのFacebookの登録人数が極めて限定的であり、そこに「公共性」などがあまり生じていない段階では、ユーザーは「サークルの意味」すら理解できないかもしれない。ただ面倒くさいだけ、となるはず。
ちなみにGoogle+は6月に入ってガラリとスマホ用のインターフェイスを刷新した。オサレになった。またPCでの仕事とスマホで出来ることをある程度、線引きしているのも特徴。ここでGoogleがPathへ食指を伸ばしたという事実も思い出される。バックグラウンドの処理はGoogleにとってお手のものであるゆえ、きっと、Pathの「シンプルで美しいUI」を手に入れたかったのだと予想する。
Googleとしては焦らないで二番煎じを演じるのが王道かもしれない……と思っているところ。現状ではだぶついたマネーが特に西海岸のスタートアップにはまだまだ流れ込んでいる。ここにPCだけでなく、スマホの急拡大という大波があって、Google自体もやや混乱気味、と。特にイカしたアプリとかは「ゼロ」から始めるスタートアップのほうが有利な場合が多い。インスタグラムしかり、フリップボードしかり。
とはいえ、スタートアップの多くがビジネスモデルの構築(マネタイズ)というハードルを抱えているのも事実であり、ここに新たな世界レベルでの金融危機などが勃発すれば、資金がショートするケースも増えるはず。事実、鳴り物入りでIPOを果たしたFacebookの株価の凋落は目を覆うばかりであり、バブルの象徴として、これが「スタートアップの危機」に繋がるという識者も存在するほど。
Googleとしては現在はスタートアップ企業のバブルだと捉え、環境が変化して相手が弱ったところでパクっと食べちゃえばいい(資本提携、及び買収)わけだ。ただし、消化吸収(サービスの統合)を良くするために、似たようなサービスは最低限整えておく、という構図かもしれない。
フリップボードとGoogleカレントのふたつを見比べてみれば分かりやすい。いちユーザーとしてはカレントは「?」だが、先行するフリップボード側としたら、かなり怖い存在に映るだろう。だから頑張るということにもなる。Googleとしては最低限のプレッシャー掛けるだけでいいのかもしれない。あるいは特定のハードウェアの登場、タブレットのNexus7発売と同時に本格版を出すとかいう戦略も考えられる……。
イケイケなザッカーバーグくんであるものの、Appleに実質吸収されて、はいおしまい……てな可能性も無きにしもあらず。ハードとOSとブラウザーのいずれももっていないというのは、アイデンティティの確保という意味で今後は厳しいだろう。
逆に「Google+」の概念や利便性は、多数派にとって浸透するのに時間が掛かるものの、実質トップシェアたるクロームの一番目立つところに実装済みなわけで、時間の経過とともに、より普遍性をもつのはこちらかもな、と。
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