2019年6月16日日曜日

伊勢丹デパート@府中 2019年9月 閉店っ。リアル現地 を確認してみたっ!【少子高齢化社会】


■ ポイントは、“高齢化”の加速は、“気づきにくい”ってことよ

ということで、ライフスタイルねた。ちゅーか、結構 真面目な少子高齢化、ねた。

ワタクシかなりビツクシしたのですが、老舗デパートの伊勢丹が、ちょっと前に、相模大野店、さらには府中店の閉鎖・閉店を発表したのでしたっ。



東京都心の本店系は、インバウンドでそこそこの売上げをキープしているみたいなんですけれど、郊外型は、どうも めっためた、みたい。

これはデパートだけでなく、イトーヨーカドー、イオン、西友みたいな総合スーパーなんかも同じ。

日本のバヤイ、ここにきてさらに、東京中心の“一極型”が加速しているみたいなんですけれど、にもかかわらず、東京の周縁部から、めっためた、みたい、と。

■ 基本的に、超・大枠 は....

戦前の第一次産業メインの時代に“産めよ育てよ”で、大量に人口が増えた、と。また、戦後直後、それまで我慢していた煩悩が開放されて大量の赤ちゃんが生まれた。これ堺屋太一が名付け親の“団塊の世代”っす。



で、田舎の次男次女以降の方々とか、田舎の団塊の世代みたいな方々が、日本の高度成長期、どわどわどわーと、都市部(主に、東京)に集まってきたわけです。そりゃ、土地、足りなくなるっしょ。需要と供給からしても、土地の値段が跳ね上がってゆくのは当然。

ゾンビの群れがごとく「家ほし~っ」(今も変わらんけどな・w)。


※ ↑ 写真はあくまでも、なんとなく貼ってみただけ・w

けど、です

70年以上前の第二次世界大戦がらみの時代が、かなり特殊だったとしていいでしょう。日本の産業構造も第一次産業中心から二次、三次とシフトしていった、と。

昔だって都市部の人たちって、金あっても、あんまし子供作らず、教育とかにウェイトを置いていたそうです。

世代的にいうと、黒柳徹子とか加山雄三をイメージするとわかりやすいと思う。

おのおの昭和8年、昭和11年生まれくらいだったと思う。彼らは肉(プロテイン)喰いまくって、未だに超・お元気みたいだけど、そもそも肉とか子供の頃に食いつけていないと、“食べる習慣”みたいなものが一生涯希薄になっちゃうのね。

※ マクドなんて発展途上国に肉食を広めるための、穀物メジャーの尖兵なのよ。牛は利益率高いし、大きく育てるのは穀物だからさ。これマジよ。

肉は高かったし、親そのものに食べる習慣ないと、成長期の子供へと積極的に与えたりしない.....。

家柄文化とか絶対的なリッチさも相まって、多数派の日本人の“一世代以上先のカルチャー”を行っていた、としていい。故に無意識のうちに多数派には、羨望、憧れみたいなものが発生する。タレントだから、ではなく、タレントたらしめる背景がドンとそこに存在しているわけ。

※ 石原慎太郎 昭和7年、石原裕次郎 昭和9年生まれ。長嶋茂雄 昭和11年。息子は、たとえば、石原伸晃とか石原良純とか、長嶋一茂とか、あんな感じの世代やね。

ひとまわり以上若いけど、松任谷由実なんかも同じ

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当時、多数派には高嶺の花だったマイカーなるものを同世代の彼氏が乗り回していて、そして彼はプロ志向のミュージシャン、世代からして高身長でもあった、と。彼氏は世田谷のチベット、岡本町在住。今もな・w

ユーミンは、そこからほど近く、これまた交通不便な多摩美に通っていた。画材満載のバッグ担いて南武線で八王子の実家(老舗呉服屋)から大学に通っていた、と。そこに現れた白馬の王子様がマイカー乗り回している岡本町のボン。中央高速使って送ってもらったりしていたので、サントリーのビール工場とか競馬場とかの風景を歌にした、と。

※ そのどちらの風景も途中の @府中だよ。

あるいは、スキー場の風景とか、多数派にとっては憧れなわけよ。未だに苗場でコンサートしているわけでして....。旦那は未だに車好きで、カーオブザイヤーの選考委員もやっていたりする。偶然ではなく、これら必然なわけ。

■ 郊外型デパートの撤退、空き家問題、更地の大量発生....

話はまーた脱線したみたいに感じるかもしれないけれど、時代の変遷を広く認識しておくことはとっても大切。そもそも昭和一桁世代こそが、現在の高齢化の主役なわけで、一部の超元気な人以外は、これから、どんどん“千の風”にのってゆく。

※ 2019年を境にして、それまでの“千の風”と出生が均衡していたものが、加速度的に千の風化が進む。

結果としての世田谷西部のプチ田舎での、今年2019年に入ってからの“更地”の大量発生も偶然ではないのだ。


※ 成城なんかも、現実には田舎であーる・w

ただし、昭和一桁世代とか、戦中は子供。日本の戦後復興の舵をとったのは、戦争生き残りの明治末期、大正世代だったこともお忘れなく。とっくに千の風に載っちゃっている。

あと、昭和一桁世代は、戦争に対する被害者意識が強い人達も決して少なくない。なにせ当時、子供だったからね。

さらには団塊の世代なんて、戦後生まれ。団塊の世代が成人する頃に東京オリンピックとか、東名開通とか、新幹線開通とかが起こったのも偶然ではない。また、東京西部のプチ田舎に大量の団地が建設されたのが昭和30年台後半から40年台前半である。

※ ↓ これ、調布の神代団地ね。いまや 昭和の動態保存....



結局、世田谷西部の場合、多摩川渡って川崎に入ると、かなり峻険な多摩丘陵になっちゃうので、仕方なく、かなり西側の山を切り崩して、多摩センターを造成したのであった。昭和45年あたりから入居が始まったと思う。

元は、山。なんだかんだで 坂道ばっかしなので、高齢者(昔は若かった。← 当たり前だけど... )は、買い物もままならぬのが今。まじで買い物難民化。ちなみに、駅前の三越はとっくの昔に撤退してるわけ。

んで、日本国中に“○○銀座”、“○○銀座 商店街”みたいな地名が付けられているエリアがある。

「なんでここが銀座?」みたいなところばっかしだけど、ようするにその地域にとっては、まるで銀座のようなものだったから・w

■ 開業が約半世紀。玉川高島屋なんて郊外型のハシリ

同じことは、郊外型デパートにも言える。名前だけでなく、銀座にあるような大規模商業施設を実際、田舎に作りまくってみたわけであった。

相模大野なんて小田急使えば、新宿まで30分ちょっとで着く、府中なんて京王線使えば、同じく新宿まで30分ちょいである。“本物”と激近である。

けど(そんなに近いにもかかわらず....)わざわざ、“本物”を訪れることを面倒がった人たちが、フェイク @ 郊外で散財していた時期もあった、という事である。


セレブ感がまだある玉川高島屋なんかも昭和44年開業で、日本のモータリゼーション発展を前提とした大規模駐車場を併設するという、典型的なアメリカ模倣の郊外型である。

世田谷辺境の地ではあるものの、周囲はそこそこ金持ちがまだ多いから、今もなんとか....なのであろう。ちなみに、ニコタマから多摩美や岡本町まで空いてればクルマで5分である。これも “偶然”ではない。

ここでやっと具体的な伊勢丹ねたに戻る・w

町田のお隣の相模大野の場合、そうかもね....的な感慨もあるのですけど、伊勢丹@府中の場合、ワタクシ「府中もかよ~っ~」と、かなり驚いた。

駅前再開発により、新たな商業施設も作られたとのことだったのだけれど、最近ワタクシ、府中を訪れていない。特に用は無かったゆえ。けど、今回、やーっと、府中を再訪できたのであった。


一応、お約束の府中駅の写真・w


府中って関東の中心だった。ゆえに“府の中心”、ゆえに府中。大國魂神社でんっ。中央競馬場があるのも、もともと馬の飼育の中心地だったがゆえ。馬って、今のF35みたいなものだし、農耕馬だって、トラックとトラクターみたいな品種改良を重ねた上でのハイテクだったわけ。

※ ちなみに調布は“布を調える”、布田は“布の田んぼ”(染料とか洗ってた)である。

甲州街道の大型宿場町だったた歴史もありつつ、今も大型の工場が様々に稼働中である。府中刑務所も有名だし、三億円事件だって、大手電機メーカーの給料が狙われた@府中である。八王子もそうだけど、何でもあるので、ジモティーは、“そこで完結しちゃいがち”という側面も大きい。伊勢丹があっても何の不思議もない、のである。

けど、閉店


健脚だったら駅から徒歩一分の超絶なる立地の良さ。

あまりに巨大なので、ちょっと離れて撮影。


↑ 実質、大國魂神社の参道にあるのであるっ。

まだ開店から約20年。デザインも古臭くないし、外観もキレイ。そして繰り返すけど、超絶立地の良さと巨大っぷり、なのである。

で、2019年9月、閉店

相模大野店も似たような立地&規模だけど、ぶっちゃけ「こんなの閉店しちゃって、その後、どうすんの?」である。

ちなみに伊勢丹府中店と駅の間には、バラックの延長線(大変、失礼っ)みたいな感じだった商業施設が密集していたのですが、そこは全部、地上げされて、新しい商業施設がオープンした。



規模は伊勢丹には及ばぬとも、結構、デカいビル。テナントは、有名どころの、庶民派ばかり。


とはいえ、伊勢丹ショーバイを脅かすほどの新業態とも思えない。

あと、伊勢丹の対面あたりの一等地(神社より駅近なんすけど....。実質、駅から徒歩3分も大げさでなくぅ)をまーた大規模 地上げして、大規模マンション開発中だったのにはビビった。三菱地所と長谷工のコラボ。


きっと坪単価400万円以上。府中もちろん急行みたいの停まるしね。けど、なぁ。マンション・バブルは、そろそろ....でしょうな。知ーらないっと。

■ 平成を経て、昭和との完全決別。さて次なる時代は?

ともあれ、伊勢丹府中店

1996年開業。開業年が最高売上げで、以降、売上げダダ下がり。まさに失われた20年の象徴である。

開業以前の再開発(地上げ)の工程も含めたところで、企画そのものは、まさにバブル時代に端を発する。

昭和残滓な平成そのものっしょ。

1997年。橋本龍太郎時代の消費税3→5%。アジア通貨危機。デフレ時代に本格突入。

当時、60歳前後だった世代は、現在80歳前後。戦後のニッポン高度成長期の“勝ち組”(≒ 結構、年金がっぽり)が徐々に高齢化していって、当然、各種消費も減衰してゆく....。金あってもな。

ここでのポイントは、20年は短くない年数なれど、赤ちゃんが20年経っても、まだハタチであるということ。果たしてハタチそこそこの可処分所得は?

一方、高齢者の各種減衰スピードはドッグイヤーであるぞ、と。

もちろんここ20年で、各種専業店の進化(cf. ユニクロとかニトリとかダイソーとか)も大きいし、ネット進化によるEC の進化も無視できない。平成とはアナログ → デジタル時代 の移行期であり、令和は、本格的なデジタル新時代となる、はず。

※ パラダイムそのものが変化するので、平成生まれも昭和OS の残滓を大いに引きずっているので注意な・w 。若いとかいって、かえって古臭いパラダイムに脳内汚染されているケースも多い。

※ 昨今、80歳代の小金持ちのジジイが主因の各種事件が連発しているけど、あれらが、ここにきて俄然、目立つのも各種パラダイムチェンジと高齢化が両輪となって加速しているのが背景にあると考えているワタクシ。


伊勢丹府中店の閉店なんかも、本格的昭和の終わり、とも言える。昭和のビジネスモデルがてんで通用しない時代なので、とっとと退散っちゅー次第である。昭和OS な経営陣でありつつも、あえて「決断」せざるをえない時期となった、という点に注目っ。

それが令和元年。

これからっすよ。これから!



とりあえず、いぢょ!

【追記】

     ひとくちに“格安SIM”と言っても、その中身は天と地っ!




ワタクシが、NifMo → IIJmio → mineo へと至った、マイネオ、コスパ最強“10の理由”を書きました。ぜひ


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