2023年9月20日水曜日

#VIVANT #別班 #神田明神 #布多天神社 #深大寺 #古天神遺跡 #調布 #布田

 


いきなし身近な布多天神社@調布がロケの舞台になって驚いたわけ。2022年末の「Silent」の時も、結構、身近な世田谷代田駅前が舞台になってて、不思議な気持ちになったっけ。

深大寺には神田明神の分社あるのかー

テレビドラマはほとんど見ないが、見ると、これだ・w。

世田谷代田駅は、小田急の中では乗降客数もあって世田谷と言えども超マイナー。布多天神社がマイナーとか言ったら罰当たり必至ですが、神社全体からすれば知る人ぞ知る系だと存じます。

どちらもリアルに身近で、いきなしドラマの舞台になるって、すっげービックリ系・w。

布多天神社はドラマ内では、地名のクレジットが無かったので、知らない人、わざわざ調べない人は、どこにある神社かは分からない。

知り合いは、大きな牛の置物があったので、わざわざ福岡の太宰府でロケしたはず、と思い込んでいた。調べてみたら布多天神の御祭神のひとりが菅原道真公なんですねー。

ちなみにもうひとりの御祭神が、少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)。大国主命の兄弟。主賓はこちら。古ーっ。

んで、です。

実は、現在の布多天神は、移設後の場所にある。オリジナルは現在、「古天神遺跡」と呼称されているところ。多摩川の氾濫を避けるために今の場所(布多天神社)へと移動したとのこと。甲州街道沿い、です。調布駅徒歩10分以内、と。

んでぇ、興味が出てきたので布多天神社の創建を調べてみた。約2000年前だそうです。OMGっ。

ユダヤの民がローマ帝国に迫害受けて、嫌になっちゃって、「どっか行っちゃおうぜ」みたいな時期とも重なります。

いや、「どっか」ではなくぅ、「もう帰ろうよ」かも・w。

ちなみにぃ、京王線沿線で由緒ある神社として高名なのは府中の大國魂神社ですが、創建は約一世紀後となります。府中の真北が国分寺、と。江戸幕府がガンガンに治水するまでは、東京周辺のコアは、府中だったわけです。

まずは、布多天神で足場を固めて、広く俯瞰して府中へGoって感じ?

んでんで。ワタクシ我慢できなくなって、「古天神遺跡」に行ってみた。

慣れ親しんだ調布駅周辺なんですけど、道も狭いし、用もないしぃ、行ったことのないエリア。ただ、思いっきり住宅街なんで、こんなところに遺跡とかあるのー、的な。Google Maps で眺めれば、結構敷地広かったけど....。

見つからない。結界はられていて、近づけない?・w。でも、到着、と。

なんか植生が神社っぽくない。多摩川が近すぎるのかも。水はけ良すぎ系、か。

入り口の看板に書いてあるのを読めば.....。

現在の布多天神社へと御社が移設後は、放置プレイで廃墟化していたみたい。びっくりすることに、昭和50年代になって、やーっと発掘調査が始まったみたい。

周りはギッチリと住宅街なんで、ビックシっす。調布駅からバリ便利なので、住宅街化はよく分かるが、遺跡とのコントラストが凄すぎっす。

次に驚いたのが、調布って地名は、最近のものであって、このあたり一帯、「布田」なんですね。

※ 調布駅の東隣が布田駅です。

※ 地名は「布田」、神社名は「布多」。

んで、昭和の発掘の結果、分かったのが、1万年前の旧石器時代の遺物から始まって、5000年前の縄文時代のシロモノとかゴロゴロ、らしい。マジか。

詳しくは、看板の写真、お読みくださいまし。

じゃあいつ、今の場所に神社は移ったのか?

「文明九年(1477年)に多摩川の洪水をさけ、古天神というところより現在地へ遷座され、その時に、御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)に菅原道真公を配祀されました。」

公式HP よりコピペ。すみません。

ここで勝手な推測。もともと現地人にとっては1万年前からスペシャルな場所だったんですけど、少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)が来て、「ここいただきまーす。そのかわり、いろんなテクノロジーとか教えてあげるねー」ですかねぇ。

ちなみに、調布、布田、染地、とかから連想するものとは?

さて、ここからVIVANT

布多天神社に毎日お参りしている別班の女性リーダーは、調布在住でしょう・w。んで、赤福のサインを布多天神で受け取り、主人公とミーティングした場所が、これまた調布の深大寺。ここはメジャーですよね。

最初はワタクシ、調布周辺って撮影所たくさんあるし、身近なところで済ましているんでしょ、なーんて思っていました。

が、です。

深大寺には、神田明神の分社が敷地内にあるんですよ。超レア、神田明神の分社って。ビツクシ。

神田明神、公式HPをご覧いただければ分かる。江戸の守護神です。

創建は730年。十分に古い。布多天神社ほどではありませぬが、古い。

徳川家康が1600年、関ヶ原の戦いの際、神田明神にてご祈祷、見事、天下統一、以降、徳川家は、神田明神にスペシャルな援助をし続けたのだとか....。

1616年には、江戸城の裏鬼門にあたる現在の位置へと移設、と。

明治以降、江戸城に居を移した明治天皇も足繁く神田明神にご参拝なさったそうです。

ここから妄想です・w。

大抵、神社ってお祈りするところ、と思っているはず。「いいことあるかな」的な。これでも十分に呪術廻戦、引き寄せの法則、的な世界ですけど....。

冷静に、お祓いとか、十分以上にスピリチュアル。けど、日本人にとって、フツー過ぎちゃっている的な。

けど、リアルパワーとして、古神道、陰陽道(断易、奇門遁甲、紫微斗数とか)、體術(古武道)とかをフルに駆使できる人材が存在していたとしたら?

神主(古神道)の姿をしつつ一族を率いていたり、商人の姿をしつつ、様々なエリアの情報収集していたりとか....。

目的は、護国。国体を守る。ひいては天皇家を守る、とか。

移ろい続ける幕藩体制とか政治体制とか超越した存在、仕組み、組織....。

先にも述べましたが、府中の大國魂神社の創建が約1900年前です。めちゃ古っ。

そんな昔から情報ネットワークを張り巡らしていたら? さらにイザとなった時のFORCE を持ち合わせている組織がいたら?

バトルに明け暮れていた戦国武将も、既に日本全国に張り巡らされいた別の情報ネットーワークにアクセスしたいんぢゃないのー?

だから天下統一できて、300年もの天下泰平ゲットできたんぢゃないのー。

でも、ずーっと表には出てこ来てないってわけ。表の顔は神社、とか...。表の顔は、商人、とか....。

丸菱商事ならぬ、三菱商事。本社は千代田区丸の内。神田明神の管轄内ですね。

なんちって・w。


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